「古代日本の築城技術」と、「古代東アジアの国際関係」
7世紀の東アジアは国家間の戦争が続いた時代でした。 大陸からほど近い九州北部には、外交を目的に「大宰府」が設置され、 その周辺には防衛のための古代山城が数多く築かれました。 これらの城は朝鮮や中国の築城技術の影響を受けており、 当時の東アジアでの築城技術や技術伝播を伝えています。
国家間の戦争が終息した9世紀になると、 日本は朝廷に服従しない東北の人々・蝦夷を討伐し始めます。 その前線基地として設けられたのが、「多賀城」などの城柵です。 蝦夷討伐が終わると、城柵は行政機関としての役割を担い、日本は統一に向かっていきました。
九州北部を中心とする古代山城と東北と中心とする城柵からは、 外交などの交流から成立した古代日本の築城技術と、 7~9世紀の東アジアでの国際関係や日本国内の情勢を知ることが出来ます。