古代山陰の歴史地区

~「古代日本の移り変わり」と「日本文化のはじまり」~

西谷墳墓群
出雲大社
妻木晩田遺跡
加茂岩倉遺跡
山代二子塚古墳
法華寺畑遺跡

 鳥取県と島根県(山陰)は縁結びで知られる出雲大社に代表されるように、 ”神々の国”そして日本神話の舞台として知られています。 実は、あまり知られていませんが、山陰は古代遺跡が数多く残っている地域なんです。 これらの古代遺跡や関係する文化財は、 古代日本がどのように統一されていたかを物語っている貴重なものです。 そして、これらの文化財の一部は、神話が書かれた日本最古の書物にも登場します。 そう、日本文化を語るうえで、山陰は欠かせない地域となっています。
 「古代日本の移り変わり」を伝える文化財群と、 「日本文化のはじまり」と言えるほどの文化芸術との関係が評価されて、 世界遺産だったらいいな~

目次

  1. STORY1 古代日本の移り変わり
  2. STORY2 日本文化のはじまり
  3. ストーリーを構成する文化財
  4. 似ている世界遺産
  5. 関係する外部サイト
  6. 作成者から
  7. 参考文献・サイト

STORY1 古代日本の移り変わり

 3世紀まで(弥生時代)の日本は一つの国ではありませんでした。 各地に多くの国が存在する中で、大きな勢力のひとつが、山陰の勢力でした。 それを物語るように山陰では日本最大級の弥生時代の集落跡や多くの青銅器が発掘されています。 また、この頃からあったと言われる出雲大社などの神社も、当時の建築様式をとどめています。 そして、古代山陰王国のシンボルといえるのが、四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)です。 この弥生時代の墓は、山陰とその周辺地域でしか確認されていません。
 山陰には、今の日本とは異なる王国が存在していたのです。

<もっと詳しく知りたい方はこちら!>

四隅突出型墳丘墓って何?どこにあるの?
山陰の弥生遺跡はそんなに大きいの?
山陰の青銅器はすごいの?
出雲大社の建築様式って?

 古墳時代に入ると、ヤマト朝廷が勢力を拡大し、 山陰や他の地域の人々は、ヤマト朝廷の臣下となっていきました。 その服従のシンボルが前方後円墳などの古墳です。 この頃には、四隅突出型墳丘墓は造られなくなりました。
 また、古墳時代末期には、日本に仏教が伝来しました。 その結果、山陰でも古墳は次第に作られなくなり、仏教寺院が建てられるようになりました。 服従のシンボルが、古墳から仏教寺院へと変わったと考えられています。 山陰には、当時の仏教寺院の遺跡が数多く残っています。

 奈良時代になると、中央集権国家「日本」が誕生しました。 これまで墳丘墓や古墳を作っていた人々ではなく、 平城京から派遣された役人が、役所(国府)で政治を行うようになりました。 そして彼らが山陰などの地方に向かうための道(古代官道)も整備されました。 これは、古代ローマ帝国やアケメネス朝ペルシアの制度と似ています。 これらの帝国と日本で大きく異なるのが、複数の宗教、つまり神道と仏教の両方を国の宗教にした点です。 ですので、この時期も神社は壊されることなく残り、 仏教でも、国分寺・国分尼寺が国の政府によって建てられました。

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国府・国分寺・国分尼寺って全国各地にあるんじゃないの?

 これらの文化財は、古代日本の変遷が世界史的に見ても特異なものであったことを物語っています。 そして山陰地方には、その変遷を証明する文化財が揃って残っています。 まさに、「古代日本の移り変わり」を山陰の文化財は今の私たちに伝えています。

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STORY2 日本文化のはじまり

 奈良時代、中央集権国家になった頃には、 文化面での統一を図って、各地の神話をまとめた『古事記』と『日本書紀』が編纂されました。 そして、書かれている神話の主要な舞台が、山陰です。 山陰を舞台にしたヤマタノオロチ神話や大国主神話が、『古事記』と『日本書紀』で書かれています。 これらの神話は、これまで多くの伝統芸能で演じられてきました。 例えば、神楽や能楽、文楽、歌舞伎などが挙げられます。 日本文化、特に伝統芸能を語る上で、山陰は欠かせない地域となっています。

 さらに、その本の内容は19世紀に西洋にオランダを通じて伝えられることになります。 シーボルトが書いた『日本』は、ヨーロッパの人々に日本神話の内容も伝えることになりました。 他にもラフカディオ・ハーン(小泉八雲)なども、同様の内容の本をヨーロッパで出版しています。 つまり、ヨーロッパ人やアメリカ人がはじめて触れた日本像のひとつが、山陰だと言えます。 彼らは山陰の神話を見て、日本とはどのような国かを想像したことでしょう。

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『古事記』や『日本書紀』に山陰が登場するのはなぜ?

 また、山陰には、『古事記』と『日本書紀』とは別の書物も今に残っています。 『出雲国風土記』です。 この本には山陰で受け継がれた独自の神話や伝承などがまとめられており、 多くの山陰の文化財がこの本に登場しています。 この『出雲国風土記』が残っていることで、 古代における山陰の文化的豊かさを更に知ることができます。

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『出雲国風土記』って何?

 日本の伝統芸能との関係や、古代における文化的情報の豊富さからも、 山陰はまさに「日本文化のはじまり」と呼ぶに相応しい地域となっています。

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ストーリーを構成する文化財

全部で30の文化財を選んでいます。(縦スクロールになっています)

  文化財の名称 概要 ギャラリー/関連サイト
1 阿弥大寺古墳群

<弥生時代>

  • 墳丘墓
弥生時代後半の四隅突出型墳丘墓群です。山陰地方に現存している国指定史跡の四隅突出型墳丘墓では、最も東に位置しています。現在では埋め戻されているのでその姿を見ることは出来ません。 阿弥大寺古墳群
2 妻木晩田遺跡

<弥生時代>

  • 集落
  • 墳丘墓
日本で最大規模を誇る弥生時代の遺跡です。環濠で囲まれた住居跡をはじめ四隅突出型墳丘墓も多く発見されており、山陰地方の弥生時代がどのようなものだったのかが目で見てわかる、壮大な遺跡です!
★オススメ!
妻木晩田遺跡
3 福市遺跡

<弥生~古墳時代>

  • 集落
  • 墳丘墓
弥生時代から古墳時代にかけての集落跡で、山陰地方での集落の変遷を伝えています。 福市遺跡
4 青木遺跡

<弥生~奈良時代>

  • 集落
福市遺跡の南に位置し、こちらも弥生時代から奈良時代にかけての竪穴住居跡などが多数発見されています。そして青木遺跡はこのページで紹介した「弥生時代から奈良時代の変遷」を辿ることが出来る貴重な遺産です! 青木遺跡
5 田和山遺跡

<弥生時代>

  • 集落
  • 信仰
山頂の建物を囲む3重の環濠が掘られている弥生遺跡です。山頂の建物は宗教的な儀式の場と考えられ、ふもとからは集落も見つかっています。防御をしなければならない弥生時代の社会情勢や、弥生時代の人々による信仰形態などを今に伝える遺跡です!
★オススメ!
田和山遺跡
6 美保神社

<弥生時代>

  • 神社
  • 信仰
  • 文化
『出雲国風土記』にも登場するほど古くから存在し、本殿は山陰地方独自の建築様式である大社造が少し変形した造りで、国の重要文化財に指定されています。古代から受け継がれる建築様式と信仰を今に伝えています! 美保神社
7 加茂岩倉遺跡

<弥生時代>

  • 青銅器
39個もの銅鐸が一度に出土した遺跡で、その銅鐸は全て国宝に指定されています。青銅器文化は中国が起源で、日本で独自の文化が育まれたことを示しています!なお、出土した銅鐸は全て島根県立古代出雲歴史博物館で展示されています! 加茂岩倉遺跡
8 猪目洞窟

<弥生時代>

  • 信仰
  • 文化
『出雲国風土記』に登場する「夢で見ると必ず死ぬ洞窟」だとされている洞窟です。洞窟内部からは埋葬された人骨などが多数出土しており、当時の人々の信仰、特に生死観をうかがわせる遺跡です。 猪目洞窟
9 西谷墳墓群

<弥生時代>

  • 墳丘墓
山陰地方で最大級の四隅突出型墳丘墓がある墳墓群です。弥生時代、この墳墓群が位置する地域には大きな勢力を誇った一族が居たとされており、「王墓」と称されています。
★オススメ!
西谷墳墓群
10 荒神谷遺跡

<弥生時代>

  • 青銅器
358本の銅剣、銅鐸6個、銅矛16個が出土した、日本の青銅器文化を代表する遺跡です!出土品は⑦加茂岩倉遺跡と同じく島根県立古代出雲歴史博物館で展示されています。 荒神谷遺跡
11 出雲大社

<弥生時代>

  • 神社
  • 信仰
  • 文化
日本を代表する神社の一つで、大社造の本殿は国宝に指定されています。『古事記』『日本書紀』『出雲国風土記』に登場し、日本の文化形成にも欠かせない神社です。また、境内から出土した文化財は、弥生時代から信仰の場だったことを伝えています!
★オススメ!
出雲大社
12 橋津古墳群

<古墳時代>

  • 古墳
5基の前方後円墳と19基の円墳から構成される古墳群です。その1つの古墳からはヤマト朝廷と深い関係だったことを示す鏡などの出土品が見つかっています。 橋津古墳群
13 向山古墳群

<古墳時代>

  • 古墳
②妻木晩田遺跡の南西に位置し、前方後円墳8基と方墳1基から構成される古墳群です。この地域における首長墓群だとされており、②妻木晩田遺跡から続く時代の変遷を考える上でも重要な古墳群です。 向山古墳群
14 荒島古墳群

<古墳時代>

  • 墳丘墓
  • 古墳
四隅突出型墳丘墓や古墳といった、弥生時代から古墳時代にかけての墓が集まっている古墳群です。そして古墳時代初期では四隅突出型墳丘墓の名残がある古墳が見られるなど、古代日本の墓の変遷も見ることが出来ます! 荒島古墳群
15 大庭鶏塚古墳

<古墳時代>

  • 古墳
6世紀前半に築かれた方墳です。島根県東部でも最大級の大型方墳で、古墳時代当時の松江市周辺の王の墓と考えられています! 大庭鶏塚古墳
16 山代二子塚古墳

<古墳時代>

  • 古墳
⑮大庭鶏塚古墳の1代後、6世紀中ごろに築かれた前方後方墳で、6世紀では全国最大級の前方後方墳です。こちらも王の墓と考えられています!
★オススメ!
山代二子塚古墳
17 山代方墳

<古墳時代>

  • 古墳
⑮大庭鶏塚古墳の2代後、7世紀初頭に築かれた方墳です。⑮大庭鶏塚古墳、⑯山代二子塚古墳、そしてこの山代方墳の3つは現在の松江市周辺の首長墓群とされ、王家の谷とも呼べる地域となっています! 山代方墳
18 今市大念寺古墳

<古墳時代>

  • 古墳
6世紀後半に築かれた、島根県最大級の前方後円墳です。この古墳は現在の松江市の⑮、⑯、⑰の古墳を築いた勢力とは異なり、現在の出雲市周辺を治めていた勢力首長墓だと考えられています! 今市大念寺古墳
19 上塩谷築山古墳

<古墳時代>

  • 古墳
6世紀末に築かれた円墳です。発見された金銅冠、馬具、太刀などの副葬品は重要文化財になっていて、これらのきらびやかな副葬品から、⑱今市大念寺古墳の被葬者の後を継いだ人の墓とされています! 上塩谷築山古墳
20 上塩谷地蔵山古墳

<古墳時代>

  • 古墳
7世紀前半に築かれた方墳とされています。⑱今市大念寺古墳、⑲上塩谷築山古墳、そしてこの上塩谷地蔵山古墳の3つは、現在の出雲市周辺の首長墓群とされています! 上塩谷地蔵山古墳
21 斎尾廃寺跡

<古墳時代>

  • 仏教寺院跡
飛鳥時代から奈良時代にかけて築かれた寺院跡で、現在では礎石だけが残っています。しかし、寺院の全体像が判断できることから国の特別史跡に指定されています。仏教が地方に伝わってきた初期段階の貴重な文化財です。 斎尾廃寺跡
22 上淀廃寺跡

<古墳時代>

  • 仏教寺院跡
奈良県の法隆寺と同じ時期に描かれた壁画が出土した寺院跡です!②妻木晩田遺跡や⑬向山古墳群からも近く、この地域一帯は、山陰地方が徐々に中央集権国家の地方へと役割を変えていったことを伝える重要な地域です! 上淀廃寺跡
23 青谷上寺地遺跡

<奈良時代>

  • 官道
この遺跡は、弥生時代の争いの跡が見つかったり、出土した弥生人の顔を復元したといったように、主に弥生時代の遺跡です。その中で、奈良時代の官道である古代山陰道とされる道路遺構が見つかっています。さらに周辺からは道路沿いの街路樹の跡も確認されており、古代官道が存在した当時の様子を今に伝えています! 青谷上寺地遺跡
24 伯耆国庁跡

<奈良時代>

  • 国府跡
日本を代表する国府跡です!7世紀から10世紀にかけての間、国府跡して機能していたとされ、それ以降は開発されることがなかったので、当時の遺構がそのまま地面の下に残されています。このような国庁跡は日本には少ししかありません! 伯耆国庁跡
25 伯耆国分寺跡

<奈良時代>

  • 国分寺跡
㉔伯耆国府跡からすぐそばにある国分寺跡です。建物は残っていませんが、跡地には盛土が保存されており、当時の寺院の大きさが現地からわかるようになっています! 伯耆国分寺跡
26 法華寺畑遺跡

<奈良時代>

  • 国分尼寺
国分尼寺として利用されていたと推測されている遺跡です。㉔、㉕、そしてこの法華寺畑遺跡の3つの遺跡が残る倉吉市は、国府・国分寺・国分尼寺すべてが残っている、日本でもここだけという非常に貴重な地域となっています! 法華寺畑遺跡
27 佐太神社

<奈良時代>

  • 神社
  • 信仰
  • 文化
『出雲国風土記』に登場する神社で、本殿は大社造です。この神社の神事である「佐陀神納」は出雲神楽の源流とされ、ユネスコ世界無形文化遺産にも登録されています! 佐太神社
28 出雲国府跡

<奈良時代>

  • 国府跡
  • 文化
『出雲国風土記』が編纂された場所です!この周辺には⑮、⑯、⑰の古墳群があるので、周辺の散策にはうってつけの場所になっています! 出雲国府跡
29 出雲玉造跡

<奈良時代>

  • 集落
  • 文化
『出雲国風土記』にも登場する、勾玉を作っていた工房跡です。職人が暮らしていたと思われる住居跡や、「たたら製鉄」の跡地も見つかっており、古代山陰の人々の生活を今に伝えています! 出雲玉作跡
30 出雲国山陰道跡

<奈良時代>

  • 官道
㉓青谷上寺地遺跡と同じ、古代山陰道の跡地です。そしてこの遺跡も『出雲国風土記』に登場しています。(現地に行く場合は気を付けてください!案内板も何もありません!) 出雲国山陰道跡

文化財の所在地は以下の地図をご覧ください。

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似ている世界遺産

古代都市テーベと墓地遺跡(エジプト)

エジプト中王国時代から新王国時代の間、 約1000年に渡って古代エジプトの首都として栄えた古都テーベに残る神殿や墓地遺跡、 葬祭殿などから構成されています。この地で発見されたのがツタンカーメンの墓です!

ルクソール
シリア北部の古代集落群(シリア)

多神教的な世界からキリスト教(ビザンツ)世界へと移行していった過程を今に伝える集落遺跡群で、 1~8世紀にかけての農業生産技術も伝えています!

トロイアの考古遺跡(トルコ)

古代ギリシアの都市遺跡で、ホメロスが書いた叙事詩『イリアス』に登場する「トロイの木馬」の舞台として知られています。 9つの時代ごとの都市が上に上に積み重なって層を成しているのが大きな特徴です!

トロイア
慶州の歴史地区(韓国)

朝鮮半島の古代国家、新羅の首都として栄えた慶州に残る110以上もの寺院跡、 80ほどの石仏、60ほどの石塔の他、古墳群などから構成される歴史地区です!

百済の歴史地区(韓国)

紀元前18年から後660年までの間に朝鮮半島で繫栄した古代国家、 百済に関する城跡や古墳群など8つの考古遺跡から構成される歴史地区です!

伽耶古墳群(韓国)

新羅、百済と同時代に存在した古代国家・伽耶で築かれた古墳群です!この朝鮮半島の3つの古代国家に関する世界遺産は、古代山陰とも時代が重なっているので、特に似ている世界遺産といえます!

伽耶古墳群

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関係する外部サイト

島根県立古代出雲歴史博物館

加茂岩倉遺跡や荒神谷遺跡から出土した青銅器が展示されているほか、古代の出雲大社の模型などが多数展示されている歴史博物館 ★オススメ!

出雲弥生の森博物館

西谷墳墓群の隣にある博物館で、墳丘墓から出土した勾玉や腕輪、土器などを展示しています。

鳥取県観光情報サイト / 島根県観光情報サイト

古代遺跡だけじゃつまらない!という方は、一緒に山陰の有名観光地も見てみては?

文化財に関するサイトは、「ストーリーを構成する文化財」の写真をクリック!

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作成者から

このサイトで書いている内容の原点なので、「古代山陰の歴史地区」を1番目にまとめました!

日本を語るうえで山陰は欠かせない!と私は10年以上前から思っていたのも大きいです!

ただ、「出雲」とか「神話」って、難しいですよね・・・
私も、この内容に至るまでにすごく手こずりました・・・

古代の出雲(山陰)は、都市伝説好きか専門家くらいしか扱わない題材なので、 難しい情報で溢れかえっているんですよね~

その中ですので、このページを読んでいただけた皆さんには、 最初の内は最も簡単に読める古代山陰の情報として扱ってもらっても大丈夫です!
(簡単じゃねえ!って思われた方にはごめんなさい💦)

ただ、日本では弥生時代、古墳時代、奈良時代といったように 時代ごとに分けて考えてしまうので、時代の流れがわかりづらくなっています。 時代ごとに区切らずに歴史を見ると、 まるで川の流れのように進んでいく古代史がそこにはあります。 その歴史を最も豊富な情報量で伝えるのが山陰の文化財です。 世界的に見ても平和的な統一を実現した古代日本を 世界遺産のようなストーリーとして見ていくことは、 すごく面白いのではないかと私は思っています。
少なくとも、日本の歴史にはこんな見方もあるのか、 それを伝える文化財が山陰にはあるんだ、 と思っていただけたなら、嬉しく思います!

最後になりましたが、このページを最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
今後もまだ見ぬ日本を、世界遺産に当てはめて紹介していきますので、よろしくお願いします!

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参考文献・サイト

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