鎌倉の社寺

武家による信仰の地、そして武家による文化・思想の源泉地

鎌倉大仏
鶴岡八幡宮
寿福寺
瑞泉寺
円覚寺
称名寺

 鎌倉時代の中心地だった鎌倉市と周辺には、 鎌倉時代にルーツを持つ神社仏閣が数多く残っています。 戦乱や災害によって当時の建物はほとんど残っていませんが、 その神社仏閣の役割や機能は約700年もの間受け継がれてきました。
 そんな鎌倉が受け継いできたものは、武士による信仰の場としての役割の他、 武家が中心となって生み出してきた文化、 そして武士がよりどころとした思想の原点といった、 日本独自の身分である武家(サムライ)を語る上で欠かせないものばかりです。 特に思想に関しては、 後世に「武士道」として世界に知られることになります。
 そんな「武家による信仰の地として崇拝された歴史」と、「武家による文化・思想の源泉地」が評価されて、 世界遺産になってたらいいのにな~

目次

  1. STORY1 武家による信仰の地
  2. STORY2 武家による文化・思想の源泉地
  3. ストーリーを構成する文化財
  4. 似ている世界遺産
  5. 関係する外部サイト
  6. 作成者から
  7. 参考文献・サイト

STORY1 武家による信仰の地

 1185年、源頼朝は後に鎌倉幕府と呼ばれる政治体制を確立し、鎌倉の地は武家政権の都になりました。 そんな鎌倉には武家政権の守護神や守護仏として扱われる神社仏閣が整備され、 鎌倉幕府の栄枯盛衰を見守ってきました。 鎌倉幕府は1333年に滅亡するものの、 室町と江戸の両幕府や東国武士からは武家の守護神・守護仏が鎮座する場所に変わりありませんでした。
 鎌倉は政治都市としての機能は150年ほどで失われましたが、 近代にいたるまで武家による信仰の地であり続けました。

イメージ図①

<もっと詳しく知りたい方はこちら!>

武家の守護神と守護仏って? q6-1
後世の武士たちによる鎌倉の扱いは? q6-2

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STORY2 武家による文化・思想の源泉地

 鎌倉が日本の中心地だった時代は、中国との交流が復活した時代でもありました。 平安時代の国風文化とは異なる国際色豊かな文化が花開きました。 そして文化の担い手がこれまでの貴族から武士へと移行した、日本史上でも大きな転換点に当たります。 大陸からもたらされた多くの文化や、勇ましさや規律を重視する文化は武士たちに受け入れられ、 独自の文化を形成していきました。 他にも、武家独自の武芸もこの時代に発達していきました。

イメージ図②

<もっと詳しく知りたい方はこちら!>

鎌倉で育まれた文化って? q6-4 q6-41
鎌倉仏教と鎌倉 q6-3

 特に武士から重宝されたのは、大陸から伝来した禅宗です。 武士の価値観とも似ていた禅宗は幕府からも保護を受け、 鎌倉には多くの禅道場を有した大規模寺院が整備されました。 この禅宗の考えは後に「武士道」の基となり、 武士のみならず日本人の精神的支柱として位置づけられることになります。 そして、この「武士道」は近代に新渡戸稲造によって書かれた名著『武士道』でまとめられ、 日本人の道徳観や思想を世界中に伝えることになりました。

イメージ図③

<もっと詳しく知りたい方はこちら!>

そもそも「禅」って何? q6-5 禅道場q6-51
そもそも「武士道」って何? q6-6
「禅」と「武士道」の関係性は? 鈴木大拙q6-7

武士道が確立されたのは江戸時代ですが、禅の教えは武士道の形成に大きく関わるものでした。

 日本人の道徳観にも影響を与えた武家文化、 そして世界に知られる「武士道」のルーツとなった場所が、鎌倉の寺社です。

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ストーリーを構成する文化財

全部で12の文化財を選んでいます。(縦スクロールになっています)

  文化財の名称 概要 ギャラリー/関連サイト
1 鶴岡八幡宮

<武家の信仰>

  • 神社
  • 武家の守護神
源頼朝が鎌倉入りした1180年に現在地に移され、鎌倉幕府が武家政権の守護神として最も重要視した神社です。その後、室町幕府や江戸幕府などからもその扱いは変わらず、武家からの信仰対象であり続けました。参道である若宮大路も重要な資産です。 鶴岡八幡宮
2 鎌倉大仏

<武家の信仰>

  • 寺院
  • 武家の守護仏
武家政権の象徴及び守護仏として造立された銅造阿弥陀如来坐像です。鎌倉幕府によって鋳造されたそのままの姿をほぼ保っており、国宝に指定されています。 高岡城跡
3 荏柄天神社

<武家の信仰>

  • 神社
  • 武家の守護神
創建は鎌倉幕府成立より古い1104年とされています。鶴岡八幡宮と共に東国の武士政権の正当性を保証する神社として重要視されてきました。 兼六園
4 寿福寺

<武家の文化・思想>

  • 寺院
  • 禅宗
鎌倉で最初に創建された禅宗寺院です。1200年に北条政子が栄西を招いて開山され、禅宗普及の端緒となりました。 成巽閣
5 覚園寺

<武家の文化・思想>

  • 寺院
  • 武家文化
鎌倉の寺社景観の典型例として挙げられる寺院です。仏教学研究の中心として、武家文化醸成の場となりました。 覚園寺
6 浄光明寺

<武家の文化・思想>

  • 寺院
  • 武家文化
14世紀の寺院境内の地形や地割を現在に伝えている寺院です。さまざまな学問の道場として扱われ、武家による学問・教養の取得の場でした。 浄光明寺
7 建長寺

<武家の文化・思想>

  • 寺院
  • 禅宗
  • 武家文化
日本初の本格的な禅宗専門道場として北条氏が創建しました。開山を担当したのは中国から日本にやってきた蘭渓道隆です。 当時の禅宗をはじめとする中国文化受容の最大の拠点として、武家文化の成立と発展に大きく貢献しました。 建長寺
8 浄妙寺

<武家の文化・思想>

  • 寺院
  • 禅宗
北条氏によって創建された禅宗寺院です。鎌倉独自の「やぐら」が多く残っていることも大きな特徴です。 浄妙寺
9 称名寺

<武家の文化・思想>

  • 寺院
  • 武家文化
北条氏の支族である金沢北条氏が収集した文物を保管してきた寺院です。その保管庫である「金沢文庫」に保管されている文物は武家文化の源流が鎌倉にあることを示しています。 称名寺
10 円覚寺

<武家の文化・思想>

  • 寺院
  • 禅宗
  • 武家文化
北条氏が、鎮護国家と蒙古襲来時の犠牲者を敵味方の区別なく弔うために建立された禅宗寺院です。武家文化成立と発展に大きく貢献しました。 円覚寺
11 浄智寺

<武家の文化・思想>

  • 寺院
  • 禅宗
室町時代に鎌倉を治めた鎌倉公方の菩提寺でも機能した禅宗寺院です。時代を経ても鎌倉が武家の信仰拠点として扱われていたことを伝えています。 浄智寺
12 瑞泉寺

<武家の文化・思想>

  • 寺院
  • 禅宗
  • 武家文化
14世紀に夢窓疎石によって開かれた禅宗寺院です。彼の作庭による庭園は、鎌倉時代の禅宗寺院での庭園の姿を留めています。 瑞泉寺

文化財の所在地は以下の地図をご覧ください。

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似ている世界遺産

カイロ歴史地区(エジプト)

中世から建造され始めたエジプトの中心都市・カイロに残るモスクなどからなる旧市街です。 イスラムの軍人奴隷であるマムルークに関するモスクも数多く残っています。

カイロ
ロドス島の中世都市(ギリシャ)

十字軍・聖ヨハネ騎士団がイスラム勢力に対抗するために築いた全長4kmに及ぶ城壁 に守られた中世の要塞都市です。

ロドス島
ヴァレッタ市街(マルタ)

十字軍・聖ヨハネ騎士団がイスラム勢力、特にオスマン帝国の襲撃に備えて建設された城塞都市です。

マルタ島
マルボルクのドイツ騎士団の城(ポーランド)

赤レンガで造られたゴシック様式の城で、十字軍・ドイツ騎士団の修道院兼要塞として使用され、 武器庫や大砲を製造する場所や礼拝所が備えられていました。

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関係する外部サイト

「鎌倉」世界遺産への登録を目指して

神奈川県、鎌倉市、横浜市、逗子市による世界遺産の提案内容がまとめられています

日本遺産/「いざ鎌倉」~歴史と文化が描くモザイク画のまちへ~

日本遺産の鎌倉についての情報がまとめられています

鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮のホームページです。

鎌倉大仏

鎌倉大仏のホームページです。

荏柄天神社

荏柄天神社のホームページです。

覚園寺

覚園寺のホームページです。

建長寺

建長寺のホームページです。

円覚寺

円覚寺のホームページです。

浄智寺

浄智寺のホームページです。

瑞泉寺

瑞泉寺のホームページです。

文化財に関するサイトは、「ストーリーを構成する文化財」の写真をクリック!

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作成者から

2013年に日本政府から世界遺産候補として推薦されたのが鎌倉です。
当時は「武家の古都・鎌倉」の名称で、
鎌倉の地形的特徴や武家による政治・文化をメインコンセプトにした結果、
「当時のものがほとんど残っていない」や
「地理的特徴のみでは世界遺産に値するとは言えない」
という評価を受け、登録には至りませんでした。

当時のことは、学生ながらに疑問と悔しさを感じたのを覚えています。

そこから独自に研究をし、
調査機関から好印象だった武家の精神面や文化面を示す社寺を中心に
構成遺産とメインコンセプトを再構築してみました。
武家に関係するものの中で、特に国際的な認知度を持つ「武士道」も組み込めば
世界遺産登録も不可能ではないと考えています!

このまま鎌倉が世界遺産にならないというのは、
1人の日本人としても寂しいですし、何よりも勿体ない!
このページのような攻め方もあるのではないでしょうか?

最後になりましたが、このページを最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
今後もまだ見ぬ日本を、世界遺産に当てはめて紹介していきますので、よろしくお願いします!

作成者についてはページトップの「作成者について/About the Creator」をクリック!

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参考文献・サイト

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