戦国日本の城郭遺跡群

~城が伝える戦国の乱世と天下人~

一乗谷
安土
岐阜
福地城
芥川城
名護屋

 中世日本、特にその後半に当たる戦国時代には多くの城郭が建築されました。 世界的に見ても特異なのが、その建築主が戦国大名といった有力者に留まらず、 寺社勢力や農民といった人々も含まれることです。その後、三好長慶、織田信長、豊臣秀吉ら 天下人の登場によって戦国時代は終わりを迎えます。 そんな彼ら天下人が整備した城郭はひときわ大規模なもので、 建築技術的にも日本史上でも記念碑的な存在であり続けています。 また、この時期はヨーロッパでは大航海時代で、多くの宣教師が日本に渡来してきました。 その宣教師と日本人との出会いの場となったのが、天下人の城郭でした。 東西世界の交流の場としても城郭群は大きな価値を有しています。
 「戦国時代を伝える城郭遺跡」と「時代の変化を伝える天下人の大規模城郭」、そして 「東アジアでの大航海時代の足跡」 が評価されて、世界遺産だったらいいな~

目次

  1. STORY1 城が伝える戦国時代
  2. STORY2 天下人の城
  3. STORY3 東アジアの大航海時代
  4. ストーリーを構成する文化財
  5. 似ている世界遺産
  6. 関係する外部サイト
  7. 作成者から
  8. 参考文献・サイト

STORY1 城が伝える戦国時代

 中世日本には、戦国時代と呼ばれる乱世の時代がありました。 不安定な社会情勢で各地に戦国大名と呼ばれる勢力が乱立し、100年以上も争いが続いていました。 戦国大名達は争いに備えて城を整備し、 城下に町を築いて独自の政策を行い、まるで1つの国のような勢力を築いていました。 一方では戦国大名の支配がなく、農民による一揆が支配する地域も存在しました。 忍者で有名な伊賀と甲賀、 「農民の持ちたる国」と称された加賀、「戦国の縮図」と称された紀伊などが代表的な地域です。 彼らの大きな特徴は、仏教で結びついた共和制だった点です。 一向宗に代表されるような仏教の教えに民衆が集い、戦国大名とも同等の勢力を形成していました。 更には、仏教寺院そのものによる武装勢力も存在していました。僧兵と呼ばれた兵を有し、 寺院の周りは堀や石垣で防御するなど、城のような機能を持っていました。
 戦国大名、農民一揆、仏教勢力などが身分に関係なく争いを繰り広げていた日本の戦国時代を伝えるのが、 彼らが築いた大小さまざまな城郭群です。

イメージ図①

<もっと詳しく知りたい方はこちら!>

中世城下町がそのまま残る遺跡は? q5-1
伊賀と甲賀の城って? q5-2
まるで城塞都市だった寺院って? q5-3

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STORY2 天下人の城

 そんな戦国時代で天下人と称されるほどの権力を始めて持ったのが、 三好長慶です。その次の時代には織田信長が、さらにその次は豊臣秀吉が続きました。 特に織田信長と豊臣秀吉は中世以来のバラバラな統治体制や、農民による共和制のような地域社会 を武力と経済力で制圧していき、中央集権的な国家を建設していきました。 そして最終的に豊臣秀吉が 身分に関係なく争う戦国時代を終わらせ、 日本は大きな転換点を迎えました。 また、天下人の城は建築技術を大きく飛躍させ、 石垣と天守閣を備えたものへと変化させました。 その変化は後の姫路城などの近世城郭へと繋がっていきます。 更に天下人の城は防御に留まらず、 自らの権力をアピールする象徴的な存在としての機能も果たしていました。 そんな天下人による大規模な城郭遺跡は、 時代の変化、城郭建築技術の発展、そして城の役割の変化を私たちに伝えています。

イメージ図②

<もっと詳しく知りたい方はこちら!>

三好長慶って?そのゆかりの城って? q5-4 q5-41
織田信長ゆかりの城って? q5-5
豊臣秀吉ゆかりの城って? q5-6 q5-61
徳川家康ゆかりの城は含まないの? q5-7

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STORY3 東アジアの大航海時代

 日本が戦国時代だった頃、ヨーロッパでは大航海時代を迎えていました。 特にスペインやポルトガルは宣教師の布教活動と共に次々と植民地を獲得していました。 その大航海時代に、ポルトガルから日本に伝わった鉄砲は日本の戦国時代のみならず、 世界の軍事面でのパワーバランスを大きく変化させることになりました。 また、スペインやポルトガルの宣教師たちは天下人からもてなしを受けていたことが 彼らの日記などに記されており、 当時の日本の様子を知る貴重な資料となっています。 そして、そのもてなし、つまりは大航海時代における東西世界の交流の舞台となったのが、天下人の城でした。 つまり天下人による城郭遺跡群は、世界史においても大きな意味を持つ記念碑でもあるのです。

イメージ図③

<もっと詳しく知りたい方はこちら!>

宣教師と城の関係って? q5-8

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ストーリーを構成する文化財

全部で19の文化財を選んでいます。(縦スクロールになっています)

写真をクリックすると、より詳細なサイトが新しいタブで開きます。

  文化財の名称 概要 ギャラリー/関連サイト
1 一乗谷朝倉氏遺跡

<STORY1:戦国時代>

  • 地方大名
織田信長に滅ぼされた朝倉氏の本拠地で、 中世当時の城と町の遺構がそのまま残っている 日本唯一の場所です。 一乗谷
2 小谷城跡

<STORY1:戦国時代>

  • 地方大名
織田信長に滅ぼされた浅井氏の本拠地で、当時の遺構を伝えている大規模な山城跡です。 小谷城
3 観音寺城跡

<STORY1:戦国時代>

  • 地方大名
織田信長に敗れた六角氏が本拠地とした大規模な山城です。 観音寺城
4 甲賀郡中惣遺跡群

<STORY1:戦国時代>

  • 一揆
甲賀郡に多数築城された城館跡で、甲賀忍者達が築いた城です。写真はその一つの竹中城です。 竹中城
5 伊賀国中惣遺跡群

<STORY1:戦国時代>

  • 一揆
伊賀国に多数築かれた城館跡で、伊賀忍者達が築いた城です。写真はその一つの福地城です。 福地城
6 根来寺

<STORY1:戦国時代>

  • 寺院勢力
中世の和歌山で絶大な影響力を持った大規模寺院で、城のような機能を有していた。鉄砲集団である根来衆の本拠地でもあります。 根来寺
7 鳥越城

<STORY1:戦国時代>

  • 一揆
「百姓の持ちたる国」と称された加賀の一向一揆が最後まで抵抗をつづけた城です。 鳥越城
8 芥川山城

<STORY2:天下人>

  • 三好政権
三好長慶が居城としていた山城で、この城に入城したことで三好長慶は天下人とされました。 芥川山城
9 飯盛山城

<STORY2:天下人>

  • 三好政権
芥川山城から拠点を移したのがこの山城です。三好政権の中枢として機能し、まさに天下人の居城と言える規模を誇りました。 飯盛山城
10 小牧山城

<STORY2:天下人>

  • 織田政権
織田信長が居城として築城した平山城です。当時の織田信長はまだ天下人ではないですが、織田政権と豊臣政権時代に築かれる織豊系城郭の原点と呼べる城なので、貴重な城跡です。 小牧山城
11 岐阜城

<STORY2:天下人>

  • 織田政権
織田信長が小牧山城の次に居城とした山城です。織田政権が成立した時の居城で、城郭建築史的にも中世城郭の転換期とされています。さらには来客をもてなすために造られた庭園跡も発掘されていることも大きな特徴です。 岐阜城
12 安土城

<STORY2:天下人>

  • 織田政権
織田信長最後の居城となった平山城です。日本初の大規模な天守閣が築かれたことでも有名です。当時の建築物は火災で焼失していますが、石垣は当時の様子を残しており、石垣から判明した城全体の規模も史上空前のものです。 安土城
13 大坂城

<STORY2:天下人>

  • 豊臣政権
織田信長の跡を継いだ豊臣秀吉の居城として築かれた平城です。現在目にすることができるのは徳川幕府による大坂城ですが、地下には豊臣政権の大坂城が埋まっており、当時の遺構が残っていると考えられます。 大阪
14 大和郡山城

<STORY2:天下人>

  • 豊臣政権
豊臣政権を支えた豊臣秀長の居城です。平山城で、豊臣政権の畿内統治の拠点としても機能しました。 宇陀松山
15 宇陀松山城

<STORY2:天下人>

  • 豊臣政権
豊臣政権での大和統治の要として機能していた平山城です。 高取城
16 高取城

<STORY2:天下人>

  • 豊臣政権
宇陀松山城と同じく、豊臣政権での大和統治の要として機能していた山城です。 高取城
17 石垣山城

<STORY2:天下人>

  • 豊臣政権
豊臣秀吉による天下統一を完遂させた小田原征伐の際に築城された平山城です。この城の築城で長い戦乱の世がひとまずは終わりを迎えることになります。 石垣山城
18 名護屋城

<STORY2:天下人>

  • 豊臣政権
豊臣政権による朝鮮出兵の拠点として築かれた平山城です。豊臣政権による大規模城郭を見ることができる唯一の城跡です。 名護屋城

選んだ基準は

としています。
本来ならば秀吉のもう一つの居城である伏見桃山城を含みたいのですが、 当時の遺構も面影もほとんど残っていないので除外しました。

文化財の所在地は以下の地図をご覧ください。

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似ている世界遺産

琉球王国のグスク及び関連遺産群(日本)

琉球王国での交流・社会・自然崇拝的な信仰を伝えるグスク跡(城跡)や祭祀拠点から構成されています。 登録されているグスク跡(城跡)はすべて石垣のみの遺構です。

座喜味城
南漢山城(韓国)

朝鮮王朝の非常時の際に臨時首都が置かれた要塞で、日本と中国の築城技術を反映しています。 他にも、築城や防御に僧兵が関わった点も大きな特徴です。

ラジャスタンの丘陵城塞群(インド)

8~18世紀に繁栄したラージプート諸国の権勢を伝える6つの城塞から構成されています。 イスラム教の影響を受けた装飾や庭園が残っているのも大きな特徴です。

アンベール城
グヴィネズのエドワード1世王の城郭群(イギリス)

13世紀後半にイングランド王のエドワード1世によって建設された、 中世ヨーロッパの城郭建築を今に伝える城郭群です。

カーナーヴォン城
ベリンツォーネ旧市街にある3つの城、城壁と要塞群(スイス)

交通の要衝だったために古代ローマやミラノ公国など様々な国の支配を受けてきた街で、 その街中にある中世の3つの城が登録されています。

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関係する外部サイト

一乗谷朝倉氏遺跡博物館

一乗谷朝倉氏遺跡の博物館です。

小谷城戦国歴史資料館

「戦国大名浅井氏と小谷城」をテーマに資料館です。

日本遺産・忍者

日本遺産である「忍びの里 伊賀・甲賀」のホームページです。

根来寺 公式ホームページ

中世に一大宗教都市を築いていた根来寺の公式ホームページです。

れきしるこまき(小牧山城史跡情報館)

小牧山城の敷地内にある資料館です。

安土城郭資料館

安土城に関する展示を行っている資料館です。

安土城天主 信長の館

安土城天主の最上階を実寸大で復元した模型を展示している博物館です。

滋賀県立安土城考古博物館

安土城に関する展示も行っている博物館です。

大阪城天守閣 豊臣石垣館

大阪城の地下に眠る豊臣時代の大坂城を展示している施設です。

佐賀県立名護屋城博物館

名護屋城に関する資料を展示している博物館です。

文化財に関するサイトは、「ストーリーを構成する文化財」の写真をクリック!

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作成者から

城跡って世界遺産になれるの?って思われたかもしれませんね
確かにどれも天守閣などの建物は残っていません
しかし、石垣などの遺構からは城の規模や構造がわかるので、
石垣といったものにも価値があると言える訳です!
イメージとしては、縄文遺跡などの考古遺跡といった扱いになる訳ですね。

あと、実は、織田信長と豊臣秀吉に関する世界遺産って存在しないんです。
意外ですよね~
彼らは世界史的な視点でも重要人物なので、
彼らに関する世界遺産があってもいいのではないかと思っています。

他にも、私が調査してて疑問に感じたのが、
長崎の潜伏キリシタンは世界遺産として評価されているのに、
仏教徒による共和制を築いていた歴史があまり評価されていない点です。

本願寺の門徒や一向一揆と呼ばれる人々が
城を用いて大名たちに抵抗していたという歴史は、
世界史的に見てもかなり特異です。
なのに国内では、
どうも天下人に対抗したというネガティブなイメージが強い印象を覚えます。

一見地味に思えるような歴史ですが、
名もなき人々が権力に抗い続けたという事実についての
評価を改めてもいいのでは、と調査をしながら強く思いました。
キリスト教は良くて仏教はダメっていう理論はそもそもおかしいですし。

最後になりましたが、このページを最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
今後もまだ見ぬ日本を、世界遺産に当てはめて紹介していきますので、よろしくお願いします!

作成者についてはページトップの「作成者について/About the Creator」をクリック!

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参考文献・サイト

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